〈表現の不自由展〉が中止になった理由。
- 2019.09.07
- 表現の不自由展
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「表現の不自由展」開催中止の真意。
1か月以上前、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展、「表現の不自由展・その後」に抗議が殺到、わずか3日間で展示が中止になりました。
以下は公式サイトから。展示会の内容について書かれています。
「表現の不自由展」は、日本における「言論と表現の自由」が脅かされているのではないかという強い危機意識から、組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集め、2015年に開催された展覧会。
「慰安婦」問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判など、近年公共の文化施設で「タブー」とされがちなテーマの作品が、当時いかにして「排除」されたのか、実際に展示不許可になった理由とともに展示した
。今回は、「表現の不自由展」で扱った作品の「その後」に加え、2015年以降、新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を、同様に不許可になった理由とともに展示する。
結局のところ、(当時や今に至って)現物が展示されたことで起こった〈論争〉や〈排除命令〉、〈抗議〉は、どれだけ枠で囲って展示して考え直そうったってそうはいかなかったっていう話。
〈表現の自由〉は、どこまで許されるのか。という問題
私は、人は人生の中で、一人ひとりが自由に表現できることで、気持ちの面での豊かさが満たされるのではないかと思っています。
でも、その表現したもので、誰かが傷ついたり、悲しい過去が蘇ってしまうのはNGだよねってことで中止を余儀なくされました。
実際のところ、個々の作品の作り手は、誰かを傷つけたり、悲しい想いをさせたくて、その作品を作ったのではなくて、それを見て、もうこんな辛い思いをするのは未来永劫ないように、という戒めと未来へのメッセージを込めて作ったとの解釈ともとれるし、もしかしたら、作者自らが、その悲しい体験の渦中の想いを昇華したい、強い悲しみから生まれた作品なのかもしれない。
そんな作品たちを、素晴らしい作品だ、悲しい出来事に目をつむらず、渦中にいなかった自分たちもきちんと向き合っていかねばならないのでは?と解釈したから、この展示会の開催が決まったのだとは思います。
表現者と、受け手とのギャップ。
芸術作品は突飛な発想や、膨大な想いの蓄積を持つため、受け手の十分な理解を得られないときもある。
芸術の送り手は、作るものと見るものとのこのギャップを埋める義務があります。
いろんな〈芸術療法〉(音楽や絵画などの創造活動によって、精神疾患の症状を治療する方法)があることから、私は人が〈表現すること〉で、ストレスや無意識に起きている自己の問題を解消したり昇華したりすることができると思っています。
ただ、そこに〈言葉〉が抜けているのが〈芸術〉であること。
人間にしか備わっていない、〈メッセージを伝え〉損ねるということは、誰かを傷つけかねない。
この展示会自体の開催が悪ではなく、〈言葉による〉作り手と受け手のコミュニケーションが少し足りていなかったと感じずにはいられません。
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